眩しく光る違う世界


(…眩しい)

朝、目を開けた瞬間の、いつもの感情。
毎朝おれは、閉めればいいのに開けたままのカーテンの光で目を覚ます。
眩しい空によって起こされるのは、別に好きでもないけど、なんとなく、なんとなくおれはいつもこうやって起きる。
目覚ましも使うけど、だいたい起きなきゃいけない時間までに目が覚めるからこれでいいのだ。

でも、ほんとはこの起き方はあんまりよろしくない。
日差しが強い季節だと目を閉じてても本当に眩しくて、頭痛がしてくることがある。
朝起きた時からある頭痛は厄介だ。
そして、そんな頭痛とともにおれは季節を、日々を感じていた。


べつに、マゾじゃないんだけどね。






おれは生まれた時からほんの少しだけこの国の人より光に弱い。
それはおれの血に混じる外国の遺伝子がそうしているらしい。
他の人にとって光に反射してきらきら光って見える明るい髪も、よく晴れた空みたいに澄んだ眼の色も、全部遺伝だ。
父方の曽祖母が外国の人で、いわゆる、隔世遺伝、というやつらしい。おれもよく知らないけど。

だからじーちゃんは、おれを見てよく「母さんに似てる」、と言っていた。いくらひぃばーちゃんでも女の人に似てるって言われるのは、実はあんまり好きじゃなかった。けどおれの髪を優しく撫でて、柔らかい、やわらかい顔をしてくれるじーちゃんを見るのは好きだった。だからそんなときおれはじーちゃんの手に擦り付いて、心ゆくまで甘やかしてもらっていた。


おれの家には、おれの髪と眼を好きでいてくれる人はあんまりいなかったから。

嫌われてるわけじゃない。

5歳と7歳離れたねーちゃん二人はずるい、綺麗な色だねってよく言っておれのことよくおもちゃにしてた。年の離れた弟だったから優しくももちろんされたけどね。

国際線のパイロットをしてた父さんは、たぶん、おれのこと哀れんでた。おれが見た目のことでなんかあったらいっつも眉を寄せて、目を細めて、遠い目をしてた。
父さんにも昔、そういうことがあったのかもしれない。おれほどじゃないけど父さんの髪も染めたの?って感じの明るい茶色だから。

同じく国際線のCAをしてた母さんは、たぶん、嫌いだったかもしれない。学校関係でよく呼び出しされて髪を染めてこいとかなんとかいわれて無駄なお金がかかる、時間がかかるってボヤいてたのを聞いたことがあったから。
でも母さんはおれには直接そういうことを言わなかったし、ちゃんとおれ自身は愛されてた。そういう実感が、ちゃんとある。


でも、母方の、三門市に住んでるじーちゃんとばーちゃんは、あんまりおれのことが好きじゃなかった。
というか、わかりやすく嫌ってた。
ねーちゃんたちが騒いでても何も怒らなかったのにおれが少し騒ぐと怒鳴られて説教された。

母さんが言うには、三門のじーちゃんたちは古い日本人って感じらしい。昔のセンジチュウのことを思い出すんだとか。馬鹿みたい、なんでそんなことでおれだけ理不尽に怒られなきゃなんないのって思ったこともあったけど、やめた。学校で習った昔のセンソウは結構ショッキングで、子供心にじーちゃんたちが悪いわけじゃない、ってことを理解した。
だからって顔を合わせるたびに睨まれたり、理不尽に怒られのは勘弁してもらいたいけど、まあ、仕方ないよね、老人には優しく、だ。




だからおれは今日も、三門のじーちゃんとばーちゃんにこき使われながら毎日甲斐甲斐しく世話をして過ごしている。

「澄晴!あんたどうせもう起きてるんだろう!ならさっさと朝の支度くらいしておくれよ!」

ほら、今朝もばーちゃんの頭に響く甲高い声が下から聞こえる。早くしないと元気に部屋に乗り込んできて元気に叫ぶのだ。
ほんと、老人って朝早すぎじゃない?もう少しゆっくり寝てもいいと思うよ。

「あはは、ごめんねばーちゃん!ちょっと寝ぼけてた〜!すぐそっちいってご飯作るよ〜!」

まあそんなこと言っても喧嘩になるだけだからおれは素直に優しい孫として返事するけどね。
返事をしたおれは起き上がってベットの端に座る。目を閉じて、心の中で唱える。

がんばれ、澄晴、負けるな。


そしておれは両耳をぱしぱしと叩いて顔を上げる。
そして、今日という一日が始まるのだ。











「澄晴!今日の味噌汁は味が薄いぞ!母さんはもっと濃い味付けだ!こんなもん食べられるか!」

「ごめんね、じーちゃん。でもお医者さんに塩分控えるように言われてるでしょ?」
じーちゃんはいつもおれのごはんに文句を言って残す。昔泊まりに来た時のばーちゃんのまっずい料理には文句なんか言ってなかったし残しもしてなかったのに。
それにかかりつけの先生にだいぶん怒られてるのにすぐに味が薄いって言う。うるさいから濃くしてもいいっちゃいいけど濃くするとそれは血液検査ですぐにバレる。そしておれが怒られるのだ。おれが。病院の先生に。だからしかたなくおれは毎日文句を言われながら薄い味付けの料理を作る。
おれだって味の濃いもの食べたいよ。

「ちょっと澄晴!なんでまだあんた洗濯物できてないんだい!早くなさいよ!朝干さないと学校行くんだから洗濯物いつ干すんだい!私はしないからね!」

「今洗濯物まだ回してるとこだよばーちゃ〜ん、もう少ししたらちゃんと干してから学校行くよ」
少しは落ち着いて朝ごはんくらい食べさせてよ。
べつに洗濯物なんて帰ってきて夕方か夜に干して朝回収でもいいのに自分はしないからって毎朝毎朝ぎゃーぎゃー騒がないでほしいな。ばーちゃんだってよく夕方干してたのに。よくて昼過ぎからたったじゃん。それかもう全自動の洗濯機買おうよ。これだけでおれの負担だいぶん減るんだけど。


「澄晴!あんたなにしてんの早くお皿洗いなさい汚いでしょうが!」

「ちょっと待ってね〜すぐするからね〜〜」
あんたが食べるの遅いから先に洗濯物干してんじゃん。ちょっとは待ってよ。それにあんたの食器以外はもう洗ってるっての。

日光とばーちゃんの怒鳴り声でジクジクと痛み出した頭を無視しておれは一枚ずつ丁寧に干していく。手を抜くとばーちゃんがうるさいのだ。暇だからほんとに姑かってことを言ってくる。おれ男で孫なんだけど。

心の中で文句をいいながら朝のやらなきゃいけないことを一つずつこなしていく。

「澄晴!」

ああなに、今やってるよ

「澄晴!」

うるさいなあ、少しは黙っててよ

「澄晴!」

「なあに、ばーちゃん?待たせてごめんね?」

それでもおれはこの祖父母に優しく笑いかける。

2年前の第一次近界民侵攻の日からおれにとって保護者になる大人はこの二人しかいない。

なにもかもが嫌になってもおれはまだ16歳で、一人で生きてはいけないから。
出て行けって、言われないために。

「澄晴!飯ができてないぞ!」

「あはは、もう食べた後だよじーちゃん」

くたばれ、クソジジイ



2年前


重たい空の日はいつも空を見上げていた。
見上げた空は見たい空に比べると全然綺麗じゃなかった。それでもおれは飛行機を探して空を見上げていた。
おれの目には、晴れ渡った空は少し眩しすぎて見上げることができないのだ。
だから本当は澄み渡った空に浮かぶ飛行機雲が見たくても重い空に浮かぶ小さな粒を探す。

見つけられたことは、一度もなかった。




学校で、帰り道で、公園で、いろんなところで他の子が「あっ!飛行機雲!」と言ってはしゃいでいる声を聞くたびにいつもほんの少し羨ましくなる。見たいときに見たいものを見ることができる、その眼の強さを、おれは羨んだ。


写真で見る空の蒼さを知っている。
父さんが言葉少なく話してくれる蒼を、祖父がおれの眼の色だと教えてくれた蒼を、色としておれは理解していた。

けどおれの頭上にある本当の空の蒼さだけを、おれは知らなかった。いつ見上げても空はおれには眩しすぎて、見ることは叶わなかった。
飛行機雲、なんて高望みにもほどがあった。
それでも無理してみようとすると頭が痛くなってうずくまってしまう。

だからおれは、青空を見たことがなかった。
澄晴、なんて名前なのにおれは一度だってよく晴れて澄み渡った空を見たことがないし、きっとこれからも見ることなんかできない。
そう思うと、子供心に涙が溢れた。

好きなものを、見たいものを、見ることのできない苦しさを、悔しさを、妬ましさを、おれはきっと他の子よりずっと早くに知った。

でもあるとき気が付いたのだ。
晴れてない空なら、あんまり眩しくないってことに。それに気が付いた時は嬉しくて空ばっかり眺めてた。鈍色の空でもその時のおれにとっては快晴の空だった。

でもおれが見上げたときには飛行機雲は見えないし、そんな日は飛行機をみつけることも難しい。
そのことにまた気付いてしまった時は、悲しくて泣いてしまった。


おれが見ることができるこの空は、少し虚しい空だ。

それでもおれにとってはこれだけが見ることのできる唯一の空だった。
かけがえのない、空だった。

だから空が重たい日は見上げていた。
たとえ他の子のように飛行機雲を見つけられなくても、この空に好きな飛行機を見ることは叶わなくても、ただ空を見上げるこの行為自体をおれは、少し寂しくても好きになっていた。



だから空が重たい今日、おれは嫌いな数学の授業中に空を見上げていた。

すると空に黒い点が出てきて、丸く裂けた。

「おい、犬飼、お前数学が嫌いだからって外ばっかり見てるんじゃあないぞ、いくら他の教科が点数よくてもダメなんだからな」

そういって担当の教員がおれの頭を丸めた教科書でぽこん、と痛くない程度に叩いた。クラスのみんなは笑っていた。
でも見えたものを理解できずにいたおれは、教員やクラスのみんなに反応せずにじっと目を見開き外を見続けていた。
そんなおれの様子を変に思った教員やクラスのみんなもおれの視線を追って外を、裂けた空を、見つけた。

その瞬間だった。
その裂けた空から‘白いナニカ’が這い出てきたのだ。



それから後のことは、あんまり思い出したくはない。


おれが家族と、優しくしてくれたじーちゃんをなくした日で、

いわゆる、第一次近界民侵攻、といわれるものだった。






今日は朝からちょっとハードだった。


じーちゃんは最近また酷くなった認知症のせいであの後何回もご飯ご飯ってうるさいからお味噌汁の残りと納豆を出したけど「なんだこの飯は!こんなのは許さん!」とかなんとかいって結局食べないし、ばーちゃんはなにに怒ったのかわかんないけどいきなり怒り出しておれにその辺にあったものぶつけてくるし、おかげでじーちゃんの味噌汁が溢れて掃除もしなきゃいけなくなった。もちろん追加の食器を片付けるのもおれだし服も汚れたから洗濯物も増えた。

そんなこんなで家を出る頃には急いだら遅刻はしなくてもそこそこギリギリの時間だった。
洗濯物を干してるときに感じた頭痛はより酷くなって、合間に薬を飲んだけどあんまり効いてる気がしない。
流石に溜息を吐きそうになる。

これ以上幸せに逃げられたくないからしないけど。


溜息のかわりに空を見上げる。

眩しくて数秒も見上げられない。

顔を下ろしたおれはそのまま全速力でバス停まで走った。最近復旧した市バスだった。

一番最初に復旧したバスは無償で災害避難所を巡って炊き出しやちょっとした商品販売をしている施設を回っていて、たしかボーダーが運営していたものだった。それが時間とともに仮住所施設ができて、ちゃんとしたものが買えるようになって、学校が始まって、と復興の段階が進むにつれて政府が運営するバスや電車なども復旧し始めた。さすがに復興の過程で運賃は無償から有償になったが、まあ微々たるものだ。噂ではこのお金を出したのもほとんどボーダーだったらしい。噂だが。

この市バスは復旧してすぐだが利便のいいところを回ってくれるために結構使う人が多い。そのためこんなギリギリの時間に家を出たらもう結構な人数が並んでいるのだ。今朝がハードで現在進行形で頭痛がするおれはこの通学中のバスくらいゆっくり座ってやすみたいんだけれど、

(これは今日も座れないな)

そう思って耐えきれずに小さく溜息をついた。
すると後ろから見知った人間に声をかけられる。

「どうした犬飼?めずらしいな、お前がこんな時間にここにいるなんて」

「あぁ、荒船じゃん〜、それいうなら荒船も今日は遅いね、どうしたの?荒船も寝坊?」

祖父母の介護してたらこんな時間に、なんて情けないこと言えなくて笑顔で流したおれに、荒船は大きく溜息をついておれの肩を組む。

「お前じゃねーんだから寝坊なんかするかよ。ちょっと用事があったんだよ、用事が」
「そーなの?荒船大変だねえ、お疲れ様〜」
「まったくだ」

今のこのまちには、人に言いたくない用事がある人がまだまだたくさんいる。
それは家族の看病だったり、お葬式だったり、その他ごたごたとあんまり人に言うのが憚られるものたちだ。平和な世界ならめったに起きない人死を連想させることもある。でもこのまちではそれらはまだまだおれたちにとってごくごく身近かで、だからみんな、わりと死に対してピリピリと張り詰めたものを持っていた。
それは2年前から払拭されない恐怖だったり、全てがなくなった怒りだったり、訪れるはずじゃなかった悲しみだったり、知るはずじゃなかった絶望だったり、それぞれだ。
それはもちろんおれの中にもある。
だからまだ子供のおれたちでも友達がわざわざ言わないことは突っ込んでは聞かない。精々お疲れ様、体調に気をつけて、無理しないでね、なんてその辺の所謂当たり障りのない言葉をかけてお互いに見ないふりをする。
これは、きっと死を一番近くに感じてしまったこのまちの人間全員が理解している暗黙のルールだ。

だからおれは荒船に聞かないし、荒船も何か思ってたとしてもおれに聞かない。バスの中で話した内容は今日の授業の提出物だったり、最近できた学生食堂の制覇できてないメニューに対するものだった。
平和な世界の、平和な学生が、当たり前に話すような、そんな会話だ。



おれたちはいつだって、いまのこの張り詰めた糸のような、危うい平和が続くことを祈っていて、でもこの平和こそが次の瞬間にはなくなってしまうかもしれないことを、とてもよく知っていた。






「ごめん、なんて?」


お昼休み、いきなり荒船が真剣な顔で今日は屋上で食べよう、というから食堂で二人してパンを買った。

食べながらゆっくり荒船が話し始めるのを待つつもりだったが案外と荒船は時間をおかずに話し始めた。



曰く、荒船はボーダーの隊員になりたいそうだ。

「その、…す、ごい、ね?あらふね、ボーダーになるの?セイギのヒーロー的な?え、っと…おれは頑張ってっていえば、いいのかな?」
「ちげえよ」
「えっちがうの?」

違うらしい。
じゃあどういえばいいんだと荒船を見ると本人はあーだのうーだの唸ったり頭を抱えて一通り悩むとカクゴを決めた顔でおれに向き合った。

真剣な目だった。逸らすことも、茶化すことも許さない、そんな目だった。

「俺の家は2年前のあの日そこそこなダメージ受けてな。まあ半壊にもならないくらいだけどな。まあ、それで直すのも国やらボーダーやらの助成金があったにしてもそこそこ時間がかかったんだよ。これは前に話したな?」
「うん、聞いたよ。」
たしかそれは仲良くなってすぐの頃にやっと家が直ったんだって、凄く、すごく嬉しそうに言ってたから覚えてる。俺が見た荒船の笑顔の中で一番嬉しそうだった。

「そうだ、それでな、俺はあの時思ったんだよ、もう二度と俺の、家族の大事なもんを壊されたくねえし、こんな無茶苦茶なことされたくねえなって」
「……うん、」
これはこのまちのみんなが思ってることだ。おれも思った。いや思ってた。今のおれにはもう守りたいものも、壊されたくないものもないだけだけど。

「だから実は2年前あのときすぐにボーダーに入りたかったんだ。でも家もゴタゴタしてたし親も心配して絶対ダメだってうるさくてな。」
「まあ、そりゃ…そうだと思うよ。」
2年前のすぐのときなら本当にご両親にとってこんなに心臓に悪い話はなかっただろうな、と思う。

「やっと説得した。だからおれは今度の入隊試験を受けてボーダーに入隊する。絶対だ。そして、次はもう、あいつらになにも壊させたりしない。」

荒船の揺るがない目に、その強い視線に刺されて、四月からまだ数ヶ月とはいえ、荒船を知ってるからこそおれは納得してしまった。
この男は本気だ、と。
なら、おれから言える言葉はひとつだ。

「……そう。頑張ってね。教えてくれて、ありがとう。おれはボーダーについて詳しくないからよくわからないけど、気を付けてね。あぶなく、ないんだよね?」

おれにできること、それはこの友人の無事を祈る。だだそれだけだ。

だから荒船の利き手を両手で包む。
目を閉じて、祖父母の前では決して言えない祈りを唱える。


どうか、どうかこの友人に神の祝福があらんことを。

終わって目を開けると荒船は少し照れ臭そうに笑っていた。


「ありがとう犬飼、これで百人力だ」
「そうかな」

おれの返事に荒船は力強い視線を返してくれた。
その目のあたたかさにおれはやっと自分が緊張していたことに気付いた。

「当たり前だろ」
「…そうだね」

だからおれも、つられて照れ笑いをした。



それから二人で、購買で買ったパンを食べて、午後からの授業の愚痴を言い合った。

涙が出そうになる程平和な会話だった。